「文昇問題 其の一」

多宝院光徳文枝居士

 

 "多宝院光徳文枝居士"   
 これが、私の師匠、桂文枝の新しい名前です。

 一般の方は、今では生まれてから亡くなるまでに、名前を変えることはそうありません。特に大方の男性や夫婦別姓を選んだ女性は。その点、我々噺家は、まず本名から芸名に変わります。その噺家の中でも、襲名をする者は、さらに名前が変わります。
 私も7年前に名前を変えました。その折り、後援会の皆様始め、たくさんの方々のお陰で、「小國改め四代目桂文昇襲名披露」落語会を数ヶ所で催すことが出来ました。その一つ、京都市民寄席での事です。口上の後、私服に着替えた師匠が舞台袖に椅子を置き、トリの私の落語を最初から終わりまで聴きました。それまで師匠にそんな風に聴いていただいたことがなく、こっそり聴いていて聴いていない態をとるという、そういう聴き方でした。ですから、あからさまに聴いていただき、嬉しいのですが、とにかく緊張したのを覚えています。落語が終わり、高座から下がってきた私に、師匠の傍にいた弟弟子が「師匠が、文昇兄さんの○○のところで、笑てはりましたよ」と教えてくれました。嬉しかった・・・けど、何か物足りない。
 師匠が袖で笑っていられない、焦るくらいの落語を、いずれはしたいと思います。
 師匠、どうもありがとうございました。お疲れさまでした。

− 師匠に笑いながら、頑固やな、と言われた文昇より −

                     <2005・3・12>