「文昇問題 其の一」
亀田三兄弟の段 |
3兄弟といえば、今はなんといっても『亀田三兄弟』だろう。ちょっと前なら『だんご3兄弟』だった。あるいは、『田村三兄弟』か。「あっ、そうそう」と『田村―』に反応する人は、ある程度年齢がいっているお方だろう。
その旬の三兄弟の長兄、浪速乃闘拳、亀田興毅に会ったことがある。それも顔が最接近時30p程で、私の方から一方的にしゃべったのだ。西成を歩いていて、肩がぶつかり喧嘩をふっかけられたのではない。それなら、私は何も言わずに一目散に逃げているし、たとえ逃げたとしても途中で捕らえられ、今現在この文章を書くことが出来ないに違いない。ならば逃げずに、こちらから喧嘩を売ったのかというと、それも違う。私にはそんな度胸はない。しかし、先見の明があった。それはまだ、彼がプロになる前の'01年に、元世界王者の井岡弘樹氏と大阪府立体育館でエキシビジョンマッチをした時の事だ。私がお世話になっている大衆演劇の南條隆座長の代理で、リングサイドから花束を渡したのだ。座長からの伝言と花束を貰った14歳の興毅少年は、見ず知らずの私を訝しがりながらも私に会釈した。
亀田興毅に頭を下げさせた男として、私、桂文昇は伝説になるだろうか。
<2006・12月>