「文昇問題 其の一」
阿波踊りの段 |
今年の夏も徳島へ行った。毎年、徳島出身の笑福亭学光師を連長とする"はなしか連"で阿波踊りに行く。今から本日3ヶ所目の紺屋町演舞場に踊り込む。両側の桟敷にはたくさんのお客さんがいる。市内に数ある演舞場の中、ここには特に思い入れがある。今から3年前、師匠の文枝が徳島へ遊びに来た。桟敷に座り、各連の踊りを観ていた。我々はなしか連が中央まで来ると、ご機嫌麗しい師匠がすっくと立ち上がり、「文昇〜、ぶんしょ〜う〜」と、私の名前を絶叫した。よく通る声に観客の歓声が一瞬止み、その後どよめいた。衆目の中心になり、なおさらご満悦の師匠だった。その7ヶ月後、師匠は帰らぬ人となった。踊りながら『あれから3年経ったのか』と思いつつ、中央までやって来ると、低い声で「文昇〜、ぶんしょう〜」と呼ばれた。『えっ、まさか! 師匠?』鳥肌が立った。観客に見られているのも忘れ、辺りを見渡した。その声の主を発見した。そこには、両手にビールを持って、席を取っていたサラリーマンが上司を呼んでいた。「部長〜、ぶちょう〜!」。
役職のない、ある噺家のひと夏の出来事だった。
<2007・9月>